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- 湯船村(近世)とは
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湯船村(近世) 江戸期の村名壱岐【いき】国石田郡のうち壱岐島の南部に位置する平戸藩領万治3年に「初山村の内犬切湯船山に新に周囲を開き農家二十五戸を置く」とある(壱岐郷土史)「元禄郷帳」「天保郷帳」には初山村の枝郷として村名が見え,「壱岐国続風土記」「壱岐名勝図誌」でも初山村の枝村・里名の1つとして見えている村高は,「天保郷帳」10石余「旧高旧領」には当村名が見えず,初山村843石余のうちに含まれており,幕末・維新期までに初山村の一部になったものと思われる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
湯船村(近世) 江戸期~明治6年の村名湯舟とも書く中通り南部,川上川の上流那倉川北岸に位置する白川郡のうちはじめ常陸佐竹領,慶長7年幕府領,元和8年からは棚倉藩領慶長8年の常世北野村縄打(県史8)には渡舟村とあり1村扱いであるが,「元禄郷帳」では山形村の枝郷となっている村高は,天保7年の松平康爵領村高では122石余,「旧高旧領」でも122石余天保7年の村明細帳による家数4軒・人数男12・女12,馬4匹,農間余業は鍛冶・炭焼(塙町史)明治6年山形村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
湯船村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」